【ゆうらリズム】みんなと仲良くなんて考えなくていい

コラム

EuLa通信制中等部の姉妹校、明蓬館高校SNEC(すねっく)には小学校から不登校だった生徒がいます。

大人からの執拗な登校刺激を免れ、二次障害、三次障害の少なかった生徒は、幸い大人への信頼感を毀損させていない場合があります。

われわれ大人とのコミュニケーション・キャッチボールではなんなくやりとりできるところか、うまくおしゃべりもでき、こちらの意図もうまく汲み取り、楽しい会話ができる生徒もいます。

学童やボーイスカウト活動では年代の違う人とうまくやりとりしていた生徒もいます。

問題の本質は、「同年齢」です。

人と比べたがる同年齢の威圧、強迫です。

同調圧力です。

その場を支配する人が醸し出す空気感、あるいは誰もが主体的ではないその場の人間関係をなんとなくやり過ごさないといけない圧力です。

自己肯定感の低い生徒たちが、小さなことで優越感を感じることで心の平衡を何とか保っているのが思春期なのです。

小さなことの中には、見下ろせる対象がいることも指します。

思春期ホルモンと成長ホルモンが脳の中で暴走をしている年代ゆえの難しさもあります。

発達の課題を持っている生徒であれば困難の度合いは大きいのです。

会話のすべがわからない、という生徒がいます。

他の生徒の話に共感を感じられない、自分の言葉も入っていかない、という生徒がいます。

空気を読むことに疲れ、毎日その日待ち構える新規場面を想像しようとすると眠れなかったという生徒もいます。

女子生徒の中にも、私がうまくやれないのは同年齢の女子です、と言い切る生徒がいます。

私は生徒を前にして言うことがあります。

保護者たちを前にしても言うことがあります。

次のようなことです。

生徒たちは教室の中の集団に参加出来ないからって悲観する必要なんてなんにもありません。

じぶんを責める必要はなんにもありません。

そんなことにあまり価値を見出さなくて良いのです。

悩むに値しないことです。

たいしたことではありません。

同年齢が同じ空間で過ごし、集団で行動することは生涯の中でいっときのことです。

今だけです。

社会に出てしまえば異年齢のコミュニティだらけです。

学齢期を抜け出してしまえば青空が見えてきます。

社会に出れば自分がニーズを感じる集団を自分で選択する。

もしくは構想し、構築すれば良いのです。

同志と言える人をたった一人見つければ良いのです。

多くの大人たちは、そのたった一人が見つからなくて困っているのです。

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