【ゆうらリズム】“よく教えられた人”よりも“自らよく学ぶ人”へ

コラム

私は教員経験のないまま、学校経営に乗り出し、教壇から教えるものを持たなかったことがコンプレックスでした。

そのためコーチングスキル取得に没頭しました。コーチングとは、相手の自己選択、自己決定を促すスキルです。

教える内容を教科書の中から、あるいは受験に役立つ情報まで持つ教師に対して尊敬の念を持っていました。

知識の習得が叫ばれる時代にはそれでよかったのだと思います。

しかし、いつしか“よく教えられた人”よりも“自らよく学ぶ人”が尊ばれる時代が到来してきました。

この言葉は、成毛 眞さん(マイクロソフト日本法人第2代代表取締役)が、私たちが最初に開校した東京インターハイスクールの開校記念シンポジウム(2000年)で語った言葉です。

当時の私には刺激的な言葉でした。

最新の学習指導要領では、未来は予測困難で、人は自ら問いを立て正解を求めなければならないと言われるようになりました。

未来が予測できるのであれば、それに合わせて“予定調和のコアコンピタンシー”を手に入れればよかったのです。

未来が予測できないということであれば、何がいつどう役に立つかわからないが、自分が関心のあるもの、楽しくなれるものや熱くなれるものや淡々とクールに継続できるものを学び続けることが一つ目の対応法です。

未来は予測するものではなく、未来は実践するもの、自分が実行する足跡から生まれるかのようなテーゼで向き合うことが二つ目。

三つめは、二人でも三人でも、あるいはたった一人でもいい、沈黙でも苦にならない間柄になれる同志を見つけることです。

そして同志らとともに、あるべき未来を語り、和して同ぜず、それぞれがもたれ合わず、慣れ合わず、未来への扉をこじ開けることです。

未来のジブンを好きになれる高校時代を、専門学校時代、大学時代を過ごすことが、人生80年、90年の長きにわたり、見えない未来を目を凝らし、生き続ける、泳ぎ渡っていくための幸せな時間なのです。

人から教えられて、その教えられたことが卒業後には耐久力のない陳腐なものだったとして、しかも自分が選び、決定したものでないとしたら、一体何がそのあとに残るのでしょう。

教えてくれた人が悪い、当たりはずれで言うとはずれだったと悔しがるのでしょう。

自分のせいでなく、教師のせい、まわりのせい、家族のせい、時代のせいにする他者責任の人生を送るのでしょうか。

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