【ゆうらリズム】やっと“不登校”になり替わる対案が出てきた

コラム

「問題解決にならない」ゆたぼんも反応、群馬県が『不登校』を“横文字”に刷新、県教委の見解は」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f3f7ac0e86cceee7bd86656df1105515e27c22b

私はこの「ユニパス」という言葉に、心から賛成です。

そして、山本一太知事が公に掲げた意義は、とても大きいと思います。

「不登校」という言葉は、どこかに

“学校に来ない=よくないこと”

“来れない側に問題がある”

という空気を、無意識にまとわせてしまう。日本社会の“刷り込み”に近いものです。

わが国では、義務教育は就学(登校を前提とする)義務とされ、教育も子どもたちによる学習も義務とされるが、多くの国では子どもたちの学習は権利であり、その権利を保証するのが大人の側の義務という概念です。

その点、「ユニパス=一人ひとりの道」という発想は、見事です。

子どもに向けて、こう言っているのと同じだからです。

あなたは、あなたの歩幅でいい。

あなたの道を歩いていい。

これは単なる言い換えではなく、価値観の転換です。

そして価値観が変われば、支援の形も変わっていきます。

「学校に戻すこと」だけがゴールではなく、

学びを止めないこと/社会とつながり直すこと/自分を好きでいられることがゴールになる。

もちろん、ゆたぼんさんの言う通り、呼び方だけで問題が解決するわけではありません。

でも私は、こうも思います。

言葉が変わらない限り、現場は変わりにくい。

言葉は“社会のコンパス”です。

コンパスの向きが変われば、制度も予算も現場のふるまいも変わっていく。

だからこそ「ユニパス」は、子どもたちに希望を届けるだけでなく、

大人側にこう迫っている言葉でもあります。

一律ではなく、個別に支える覚悟を持て。

子どもを変えるより、環境を変えよ。

群馬から、全国へ。広がってほしい。

そして願わくば、「ユニパス」という言葉が、

“やさしい響き”で終わるのではなく、具体策の旗印になってほしい。

子どもには「学ぶ権利」があり、「道を選ぶ権利」がある。

大人には「道を用意する責任」がある。

私は、ユニパスに拍手を送ります。

これは、子どもを主語にした社会への第一歩です。

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