【ゆうらリズム】“普通”を疑うと、未来が見える

コラム

2026年謹んで新春のお慶びを申し上げます。

◆「異端は認められた途端、先端になる。」

これは、後からつくったきれいな言葉ではありません。

私自身の人生と、学校づくりの現場から、にじみ出てきた実感です。

世の中には、「普通」という名の強力な同調圧力があります。

学校も、制度も、組織も、気づけばその「普通」を守る装置になっている。

しかし私は、長年の実践の中で確信するようになりました。

“普通”を疑わない限り、未来は見えてこない。

◆出る杭は打たれる。出過ぎた杭は、頭角をあらわす

私たちは社訓として、こんな言葉を掲げています。

一見、矛盾しているように見えるかもしれません。

けれど、現実はいつもそうでした。

半端な違いは叩かれる。

しかし、本気で突き抜けた異端は、やがて風景を変えてしまう。

私は40歳を前に、教育の世界に入りました。

経験も前例もありませんでした。

だからこそ、「できない理由」は山ほどありました。

制度がない。前例がない。理解されない。リスクが高い。

──それでも、あるところで思考は止まります。

◆“できない理由”が尽きたとき、人は動く

言い換えれば、

それ以上逃げる言葉を持たなくなったとき、

人は覚悟を引き受けるのです。

私が大切にしてきたもう一つの考えがあります。

生徒を変える努力より、環境を変える努力のほうが、はるかに実りやすい。

これは理念ではなく、現場で何度も確認してきた事実です。

うまくいかない子どもがいると、

私たちはつい「本人の努力」や「適応力」に目を向けてしまう。

けれど、それは簡単な責任転嫁です。

本当に問われるべきは、

その子が生きている環境、学ぶ仕組み、支えの構造です。

人類の進化を振り返っても、同じことが言えます。

◆人類は、発達の課題のある人のスペシャルニーズから進化

読み書きが苦手だった人のために文字が生まれ、

移動が困難な人のために道具や技術が発達した。

「困りごと」は、いつも文明の起点でした。

それなのに、教育だけが、

いまだに「平均」や「標準」を基準に人を測り続けている。

私はそこに、強い違和感を覚えます。

辺境の地から新しい文明は興り、少数派のスペシャルニーザーたちが人類の進化に手を貸しました。

私自身1990年代、尖った少数派が情報革命、インターネットの夜明けをこじ開けた現場にいたから分かります。

だから私は、「諦めることを諦める」という二重の否定を、自分に課してきました。

この言葉には、不思議な力があります。

後ろに引き返す余地を、きれいに消してしまうからです。

異端であることは、孤独です。

打たれもします。疑われもします。

それでも、信じています。

◆生徒は未来から来た留学生と捉える

2026年。

私たちはこれからも、“普通”を疑い続けます。

出過ぎた杭として、頭角をあらわす覚悟で。

目の前の一人の生徒の可能性を守るために。

環境を変え、構造を変え、社会を少しずつ動かすために。

未来は、すでに始まっています。

それに気づくかどうかは、

私たちが“普通”に安住するかどうかに、かかっているのです。

“普通”を疑い、生徒を30年後の未来から来た留学生と捉えればわれわれ学校現場のありようは見えてきます。

今年もまた私たちは”環境を変えることで生徒が輝く瞬間““異端が先端になる瞬間”に立ち会うでしょう。

本年もどうかよろしくご教導のほどお願い申し上げます。

末筆ながら、本年が皆様にとりまして幸多き年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。

2026年元旦
統括ディレクター 日野 公三

矢印