【ゆうらリズム】ただ迷わず歩く

コラム

若き日、私が経営者を目指そうと決意してから、自分が尊敬できる経営者像を追い求めてむさぼるように経営者の本を読みあさってきた。

日経ビジネスなど、経営雑誌は大学4年生以来いまだに愛読している。

財界人と呼ばれる方に就いて第三セクターの会社再建に打ち込んだ時期は訪問先の企業と経営者を熟知するために「経済界」「財界」も愛読誌になった。

27歳の時、都内で20代・30代の勉強会を主宰し、毎月の例会にお呼びするため有名な経営者に電話したり、アポの電話をしていた。

800名まで会員が増え、皆と相談してこれはという経営者に狙いを定めて交渉に出かけた。

自分の度胸をためすためでもあった。

ミサワホームの三沢社長には可愛がっていただき、二度も講師に来ていただいた。

お礼を言いに本社に伺うと四方八方に広がる話題が尽きなかった。

苦労人の創業社長たちは会ってくださる方が多いことも学んでいった。

この方には結局会えなかったが、旭化成グループの中興の祖、宮崎 輝(かがやき)という人は私に強烈な印象を与えた人だった。

旭化成の本社が宮崎県延岡市にあり、その宮崎という姓を持ち、輝、というのを名前にすることがまずは驚きだった。

寝ても醒めても会社の経営のことばかり考え、旭化成を化学関連企業から衣料、食品、医療、住宅などさまざまな製品へと多角化をものすごいスピードで展開した人だった。

社員の能力開発にも熱心に取り組んた。

東京の研修所は不夜城だったという。

そんな宮崎氏のエピソードに、散歩がある。

早朝に、犬を連れて1時間ほど歩くのである。

歩きながら経営のことを考え、考えながら歩くというのだ。

歩くと、脳内ホルモンが出てふだんは思いつかないアイデアを思いつくことはささやかな私の経験からも共感できる。

私は今でもふと思いついたときにできるだけ歩くことにしている。

夢が叶い、29歳で独立して、会社をつくったときなどは、ポケットの中にお金がないことがあった。

家に帰るお金が尽きたときは、ただただ歩くことにした。

そのときは迷わずそう決断することにした。

赤坂見附から、当時住んでいた高円寺まで4時間ほどかけて歩いたことが何度かあった。

渋谷から歩いたこともあった。

終電が出た後、歩き始め、家に着く頃には白々と曙の光が遠くさしてこようとするのが目に入った。

まぶしかったことを今でも覚えている。

新聞配達の人の様子を見ることが出来た。

配達の車が行きかい、荷物を下ろす様子も新鮮だった。

牛丼屋さんでは数人のお客様を前に、店員さんが小走りにきびきびと働いていた。

懸命な人の営みに涙がこぼれるほど感動を覚えた。

そんな”歩く”体験の中で、私は大きなものをつかめたように思った。

ご褒美のようにアイデアが出てくるのである。

インスピレーション、それは霊感とも訳す。

それはまるでギフトのようである。

日野 公三
EuLa通信制中等部 統括ディレクター
明蓬館高等学校 理事長
アットマーク国際高等学校 理事長
東京インターハイスクール特別顧問(創立者)

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